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近代史に興味を持ったことから、戦前と戦後の連続性に気づきました。歴史は繰り返す。教育基本法は不当に奪われましたが、決してあきらめません!


by Aayumi23
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と、と、となりぐみ

保坂展人さんのブログを拝見して、「やっぱり!」とか「うそっ!」とか矛盾した叫びをあげてしまった。

要するに、教育基本法「改正」案の中で、政府与党はあの戦前の「隣組」の復活まで想定しているってことだ。




「隣組っ、隣組だってよっ、ええ?!」なんて興奮して叫んでも、今頃のお母さんたちは何のことかサッパリで、かえってこちらの頭がおかしいと思われることが多いのだが、
つまり隣組とは、
戦前の「町内会」のような組織で、戦時訓練への動員や物資の配給などを仕切っていた。
それだけではなく、この組織を通じて日本全国ツツウラウラの一人残らず、住民同士の相互監視下に置くための組織だったのである。

要するにあそこんちは何となくアカっぽいぞ、とか天子様の悪口言ってた、とか訓練のときイヤイヤやってた、なんてことを相互に監視してはお上に密告していたらしい。

あれ、これってもしかして共謀罪とも連動してない?

 最近の警察の生活安全課の地域への口出しと、人々の迎合ぶりにはいや~なものを感じていた矢先だ。
例えば近くの横断歩道で子どもの登校時間に合わせて、警察の指示で町内会とPTAから人が出てハタフリをやってるのだが、おまわりさんが「ちゃんとハタフリやってるか」見回りに来るらしい。
月のうち数日やるハタフリにどれだけ事故防止の効果があるのかよくわからないし、私などは大人がハタフリやってると、子どもはかえって傍若無人な道の渡り方するから危ないような気がするけど、まあそれ自体に害はないのかもしれない。ただし、強制されたり監視されたりして「やらされる」のでなければ、ね。
「うちはできない」と言っても聞いてもらえなくて、目を離せないお年寄りから無理やり目を離したり、乳飲み子がいるからとわざわざ実家に留守番に来てもらってまでハタフリ当番に出てる人もいるようだから、何かしら小さからぬ「圧力」があるのは確かだ。
どんな事情を抱えた人でも平等に義務を負うべきだというのは大変な不公平だが、それでもそういう論理がハバをきかせている。大体、ハタフリがいつの間に万人のギムになったんだ?

戦時訓練や配給がないだけで、これってかなり「隣組」に近くね?

・・・というように、ジワジワと統制と相互監視に慣らされていくコワさを感じてたのだが、保坂さんの記事を読んで、またもや平仄が合ってしまった、という感じだ。

これで教育基本法に「愛国心」と「家庭教育」が書き込まれたら、わざわざ「隣組」なんて作る必要もない。
やれハタフリだ、やれ見回りだ、と既に動いている同じ組織が、即座に各家庭の「愛国心」教育への干渉に動員されるだろう。

しかし「隣組」の時代は、逆らえば特高に引っ張られ、どんな目に合わされるか、生きて帰れるかどうかすらわからなかった。今後は知らずとりあえず「今は」そんな心配だけは99.9999%ない。それなのに誰も抵抗できない、というか抵抗しない。いやその前に疑問を抱くことすら自分に許さない。何のための自由なのか?それを学ぶまで失敗を繰り返すってことなんだろうか?

右向け~っ、右っ
で、形だけは全員いっせいに右を向くけど、心の中では「ああいやだ・・」と鬱々として、たまに従わない人を見つければ「お前も右向くんだよ~~!」なんて怒りを向けてしまうような社会が本当にいいと思いますか?
教育基本法を変えようとしている人たちが目の仇にしているはずのどこかの国に、実は似てきていませんか?
by Aayumi23 | 2006-11-02 18:27 | 教育基本法