2007-03-19T19:22:28+09:00
Excite Blog
ようやく復活しました。
http://aayumi23.exblog.jp/5744786/
2007-03-19T19:22:28+09:00
2007-03-19T19:22:28+09:00
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ニュースの感想
教育基本法の改悪以後、心ならずもしばらく放心状態に陥っていました。
ところが、今年になってから、閣僚やら諮問機関委員やらの問題発言の数々に、
徐々に怒りのスイッチが入り始め、それとともに元気も回復してきちゃったりして。
それにしても
「産む機械」
「過労死は自己責任」
「いまどき水道の水なんか飲む人はいない」
こういうのって、「失言」と言うより、ただ自分が考えてることを普通に「吐露」しただけ、
という印象を受ける。
きっとこの人たちの周りはほとんど、こういう発想が当たり前、という人たち
ばかりなのだろう。
この手の発言に対して、怒りや悲しみをぶつけてくれる他者と向きあわざるを得ない、
そんな状況に追い込まれたことがないのだろう。
つまり、経験の足りない甘やかされたコドモ。
あ、失礼。
実際の子どもに失礼な言い方かも。
ほんとの子どもは、ここまで傲岸不遜ではないものね。
でも、コドモ呼ばわりで自己満足してても仕方ない。
コドモたちには、一刻も早く退場願わなくちゃ。
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さよなら、また会おうね。美しかった教育基本法
http://aayumi23.exblog.jp/5156289/
2006-12-17T22:07:00+09:00
2006-12-17T22:13:16+09:00
2006-12-17T22:07:35+09:00
未分類
本当にありがとうございました。
私はと言えば、せっかく開設したブログなのに更新さえ滞りがちで、我ながら自分にがっかり。
力が全然足りないことを痛感しました。
今から教育現場で何が起こるか、しっかり目を開いていましょう。
新法が施行されれば、きっと共に戦うべき新しい同志が、毎日日本中のあちこちで
誕生することでしょう。
私ももっともっと頑張ります。
無くした今、いかにかけがえのないものを失ったのか、痛いほど感じています。
いったんはさようなら、どんな宝にも増して美しかった教育基本法。
取り戻せる日まで。
その時は、今度こそ粗末にしまい。
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イブキ文科大臣の発言について報道以上に恐ろしい内容かもしれないので記しておきます。
http://aayumi23.exblog.jp/5012680/
2006-11-23T19:28:00+09:00
2006-11-23T19:31:07+09:00
2006-11-23T19:28:46+09:00
教育基本法
asahi.comより
引用開始
伊吹文部科学相は22日の参院教育基本法特別委員会で、政府の教育基本法改正案が、教育は「不当な支配」に服することはないと規定していることについて「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う場合を『不当な支配』と言っている」と語った。一方、法律や政令、大臣告示などは「国民の意思として決められた」ことから、「不当な支配」にあたることはないとの考えを強調した。
現行の教育基本法は「教育は、不当な支配に服することなく」と規定。政府の改正案も、この表現を踏襲しつつ、「法律の定めるところにより、行われるべきだ」との規定が追加された。
これまで教職員組合などは「不当な支配」の規定を、教育行政による教育現場への「介入」を阻止する「盾」と位置づけてきた。また、9月の東京地裁判決では、国の学習指導要領に基づき国旗掲揚・国歌斉唱などを強要する都教委の通達や処分が「不当な支配」にあたると判断された。
引用終わり
私は今日になって、例によって参議院インターネット審議中継で審議の模様を見た。
それによると、上記の記事では「不当な支配」とは「国会で決められた法律と違うことを、特定のグループ、団体が行う場合」だとイブキは言っているが、別の答弁機会には以下のようにも言っている。
「国民全体の意思でないグループ、あるいは国民全体の意思でない思想によって教育を行うという場合、これは当然それ(不当な支配)にあたる。」
これだけ読んだらオウム真理教のことなんぞを思い浮かべ、ついうなづいてしまうかもしれない。しかし忘れてはいけないのが改悪案第十三条だ。
第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。
つまり、団体やグループではない家庭において、親が個人的価値観(思想)―キリスト教、仏教などの各宗教、または最近はやりのシュタイナー教育やモンテッソーリ教育などの特定の教育観(つまり思想)―に基づいて行う教育も「ダメ」となる可能性がある、ということだ。今後決まる法律、政令、大臣告示とその「個人の価値観」が矛盾することがあれば、それら法律などと「矛盾しない限りにおいて」しか子どもに教えたり、実践してはいけないことになるかもしれない。
実はこれは敗戦前に国民に押し付けられていたことのソックリな繰り返しである。例えば戦前にも信教の自由は「あった」。ところがその「自由」とは、天皇崇拝の国家神道に違背しない限りにおいて、というありがた~い条件がつけられたものだった。
「戦前も民主主義だった、何故なら選挙が行われていたから」などと言う人に時々お目にかかるが、国民をほとんど一人残らず洗脳したり、政府にとって都合の悪い思想から隔離しておいて選挙なんかやったって、何の意味があるだろうか。
恐ろしいのは、徹底的な皇民化教育が始まってから学齢期を迎えた人(つまり敗戦時に10台前半だった人)は、どんなムチャクチャな洗脳や隔離が行われていても、それと気づくことさえできなかったらしいことだ。が、今はそこには深くは踏み込まない。
・・・そんなことをちょっと考えるだけでも、思想・信条の自由こそが、民主主義の基本だということが分かると思う。イブキはしきりと「国民全体の意思」を連発していたが、その国民全体の意思の正当性も正統性も現憲法と現行教育基本法に依存しているという肝心なことをまるで理解していない。
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安倍総理、この国はあなたのものではない。(追記あり)
http://aayumi23.exblog.jp/4980836/
2006-11-18T18:32:00+09:00
2006-11-23T15:37:16+09:00
2006-11-18T18:32:53+09:00
教育基本法
こんな事書きたくなったのは、以下の記事を見て誰かが言ってやらんとほんとにわかってないのじゃないかと心配になったから。
asahi.comから。
<引用開始>
参院本会議が17日午前開かれ、安倍政権が最重要課題と位置づける教育基本法改正案について、民主、共産、社民、国民新の野党4党が欠席のまま趣旨説明と質疑が行われ、教育基本法特別委員会の設置が決まった。与党は単独でも21日に特別委での審議を始める構えだ。
本会議で安倍首相は「愛国心」について「我が国と郷土を愛する心と態度は一体のものとして養われるものだ」と指摘。改正案について「私の新たな国づくりの基礎をなすものであり、広く深い議論をいただき速やかな成立をお願いしたい」と訴えた。
<引用終わり>
一体いつ、どこの誰が安倍に「安倍晋三の新しい国づくり」など委託したのか?正気か?と思ったので、一応参議院インターネット審議中継で確認した。まあさほど強い調子ではないが、確かに言っている。ぽろっと独裁者になりたい本音が出たんだろうが、余りにもふざけすぎている。この人、シミュレーションゲームにハマってるようなつもりで総理の座に座ってるんじゃあるまいか。
追記
ですぺらさんで超ケッサクな記事を見つけた。笑いは元気の素!ぜひお読みください。
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この詐称に怒りをもて!Liberal Democratic Party?!?!?!
http://aayumi23.exblog.jp/4979222/
2006-11-18T11:53:00+09:00
2006-11-18T11:54:30+09:00
2006-11-18T11:53:48+09:00
教育基本法
憲法を担保する準憲法とも呼ぶべき教育基本法を、「民主主義→全体主義」に、趣旨の理解も国民にさせないうちに変えるようなことをしておいて、何がリベラル、何がデモクラシーだ!
日本語で呼ぶと、も~クチにタコができてるのでイチイチ意味まで考えないが、英語で言うとかえって意味がピンときたりする。
この政党の名称そのものが、「詐欺」である。
それからいつも気になることだが、教育基本法改正について、「多数決で通ったんだから民主主義のルールには従わなきゃ。」という反応がある。与党議員の多くもこの誤解を共有しているようですらある。
しかし民主主義は決して「多数派独裁」ではない。しかも今回、政府与党が議会で絶対多数を占めているのは、教育基本法という準憲法的な重要な法律を改正するについて民意を問うた結果ではない。もしこのような「形式的多数」が少数者の服従を「強行採決」で強要することを許すなら、それは「民主主義」とは呼ばない。「全体主義」と呼ぶのだ。
あなたはそうと知らずに「全体主義」を選択した(させられた)のかもしれない。
知ってからもなお、選択し続けますか?
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84歳・益永スミコさんに脱帽
http://aayumi23.exblog.jp/4974843/
2006-11-17T18:45:28+09:00
2006-11-17T18:45:28+09:00
2006-11-17T18:45:28+09:00
教育基本法
ビデオプレスTVさんで、「84歳・益永スミコさんの訴え(2分50秒)2006/11/7up」を拝見させていただいた。
涙が止まらなくなった。
益永さんは84歳。大分から教育基本法改悪反対の国会前集会に参加するために、わざわざ上京された様子。そこでインタビューに答えていらっしゃる様子に後光がさしていた。
「絶対に教育基本法は変えてはならない。絶対変えたらいけません。人を殺す昔の教育勅語、人に従う教育勅語には私は絶対に従いません。力の強い人、天皇はじめいろんな人に私たちは常に従ってきましたが、もう人間が人間に従うことはやめます。あたしら、お互いに手をつないで話し合って仲良くして、支配しない、支配されない環境をつくりたいと思います。教育基本法を変えられたら憲法全体をひっくり返される。教育の中でひっくり返されるわけですから、そんなことは絶対許せません。」
益永さんは、ここに聞き取った言葉の前に、ご自分の戦中の体験、戦後の帰還兵士への聞き取りの模様をごく簡単にではあるが、語っておられる。何がこの人をこのように強くしたのだろうか。84歳とはとても思えないりんとしたご様子に心から脱帽した。
それから同じURLのほかのビデオも見せていただいた。
飛び入りでパフォーマンスを演じる人、実に楽しそうにシュプレヒコールを叫ぶ女の子。
私は彼らを見て、心から誇りを感じる。私も国会前には行けないが、恥じない行動をしようと思う。
歴史を偽り、過去の悪事を隠蔽しし、教育を調教と呼ぶような貧しい人間観を振り回す人々の言う「誇り」。
どこかの超大国に、国民丸ごと売り渡すような人間が他者に強要する「愛国心」。
そんなもの、ちょっと遅すぎたがこの際、ドブに叩き込んでしまおう!
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教育基本法危うし!
http://aayumi23.exblog.jp/4824063/
2006-11-10T18:16:00+09:00
2006-11-03T13:05:47+09:00
2006-10-28T18:39:53+09:00
教育基本法
メロディさんのところでいよいよ教育基本法が危ないことを知りました。
教育基本法とは何か、教育基本法が改悪されたらどうなるかを、岩波ブックレット「教育基本法「改正」―私たちは何を選択するのか―」から抜粋でご紹介します。
もちろん、全部読むことをお薦めします。リンク先から3日ほどで取り寄せできますし薄い冊子ですからすぐに読めます。
<引用開始>
3P 教育基本法が守っているもの
教育基本法にできるのは、「あってはならない教育」を防ぐことだけです。教育を形造っていくうえで絶対に踏み込んではならない、「あってはならない教育」を見極め、そこに通じる道に柵を立てること、これが、1947年に制定されて以来、教育基本法が引き受けてきた役割です。この法律があったから、日本社会は、教育基本法が「あってはならない教育」だと定めたものによって脅かされずにすんできました。
10P 「あってはならない教育」とは
教育勅語体制の中で、教育は、子どもを社会にとって便利な道具に改造していくためのプロセスでした。それに対して、個人の基本的人権を保障し、国民主権の原理を採用した日本国憲法は、一人一人の子どもを、単なる支配の客体ではなく、主権者に育っていくかけがえのない個人であると認めていきます。
(途中省略)
また、憲法19条が基本的人権として思想・良心の自由を認めています。それを前提にした教育ですから、学校で一つの考え方だけを注入し、子どもの人格的な発達を国家によって都合のいい方向へとねじ曲げることは許されません。こうしたことを考えたとき、子どもを便利な国家権力の道具へと作り変えようとする方向性は、明らかに「あってはならない教育」として排除されなければならないものでした。
15P~16P 教育勅語復活論 この政党(引用注:自民党)の中には、天皇を中心とする権威的秩序に愛着を覚え、日本国憲法そのものや、基本的人権を社会の基本原理とすることに対して、強い抵抗感をもっている人々がいます。教育基本法が、教育という営みに基本的人権の尊重をあてはめているものですから、この人々は、教育基本法に根本的な違和感をもっています。
(途中略)天皇制の下で、国民が臣下としての義務を自覚していた教育勅語体制こそが、彼(引用注:森喜朗)のような意識をもつ人々にとって、最も理想的な教育体系だということになるのでしょう。こうした考え方は、自民党タカ派の多くの人々と共通しています。
とりあえず引用終了。
この後、「エリート教育のための能力主義」を徹底するために現行教育基本法が邪魔だという主張、「増え続ける少年犯罪」に対処するために、道徳教育の復活が必要だとする立場についての説明と、わかりやすい反論が続きます。
(実はかなり書いたあと、いきなりIEが強制終了してしまい、打ち込んでた部分がパーになりました。打ち直す時間がないので、結論に飛びます。)
再び引用開始
43P 社会の分断と浮上する「すべての日本人に共通する意識」
学校において、自分の能力が十分な支援を受けていると感じられる一部の小さいグループと、社会の側の期待も感じられず、能力に対するおざなりな支援しか受けられない大多数のグループの間に、分断のラインが引かれようとしていることは、ココまで述べてきたとおりです。前のグループは、馬車馬のように前に向けて走らせればいいでしょう。しかし、二つ目のグループは、そのままでは、社会に対する敵対的な感覚をふくらませかねません。そこで、そうしたグループに生じる不満感を吸収し、反社会的な意識を育てないようにする役割を期待されるのが、愛国心を中心に置いた心の教育ということになります。
また同時に、最大の支援を受けるエリート層にしても、大切に育てた才能が国に還元されず、外国企業のために使われてしまっては本来の狙いが達成できないことになります。元手を回収するためには、愛国心をしっかりと身に着けてもらわないと困ります。このようにして、教育が一人ひとりを大切にする方向性から離れれば離れるほど、人々の意識をまとめるものとして、愛国心教育の必要性が高まります。
(途中省略)
教育の分断によって国民意識がバラバラになりそうな段階で、分断の動きをいっそう進めるためには、他方で国民すべてに共通する意識が必要だと考える人たちが現れているのです。その状況に対応するために、日本の伝統・文化を尊重し、国を愛する心を育てようとする教育が、国民を束ねるために役に立つものとして行われるならば、教育は、ますます子どもの心を操作し、権力にとって望ましい方向に誘導していくための技術としての色合いを強めていくでしょう。
57P 思想・良心の自由をめぐるせめぎ合い
しかし、もし、教育基本法が改正され、教育目標を定める一条の中に「愛国心の涵養」という項目が入ってくれば、状況はひっくり返るのです。こうした改正を経れば、たとえ「人格の完成」という目的が残っていても、その人格概念の中に愛国心が入り込むわけですから、今の解釈で理解されている「人格の完成」とはまったく違ったものが教育の目的になります。
教育基本法において、愛国心を構成要素とする人格を育てることが目的だとされれば、ここでいう愛国心は、憲法19条でいう思想・良心の自由にとっても例外境域と認めざるを得なくなるでしょう。そして、思想・良心の自由が保障されない例外をもった基本的人権の体系は、たとえ憲法が現行のままであっても、本来の意味での基本的人権とは、似て非なるものに変わってしまうのです。
60P 愛国心通知表の示す問題
福岡市で、学年をとおした評価としてこの項目を使うかどうかが問われた2003年2~3月は、イラクを攻撃するというアメリカに対して、フランス・ドイツが中心になって国連を舞台に反対の論陣を張り、世界中の議論が二つに割れていた時期です。その中で小泉純一郎首相は最終的に、「米英軍によるイラク戦争を支持する」という見解を表明しました。彼は「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」を持って、イラク戦争支持を打ち出したのでしょう。首相がそうした見解を示した以上、イラク戦争を支持することこそ「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」を持った行為である、と定められるおそれが現実味を帯びてくることになります。
これは、極端なたとえ話ではありません。今の学校の現実のあり方からすれば、愛国心のあり方は、子どもたち一人ひとりが決められる問題ではないのです。日本という国を愛するがゆえにこそ「日の丸」を拒否し、「君が代」を決して歌わないとする立場は、「愛国心」とは認められていません。そして、評価を行う以上、基準は一元化する必要があります。したがって、「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」が身についているかどうかを通知表で評価しようとし始めた瞬間に、子どもたちに対して、平和実現に関する一つの考え方だけが押しつけられる危険は、抜き差しならないものとなります。
(引用終わり)
私なりのまとめ
・もし教育基本法が変えられたら、教育に関して条件のよくない家庭の子どもは、義務教育に際してすら、今までのようには支援を受けられなくなる。
・その結果、国民はエリートと非エリートに早期に分断される。非エリートは就業機会も狭められ、社会に疎外感を抱く大量の若者が出現するだろう。
・その若者たちを、上から定められた「愛国心」に吸収することでコントロールしようとしている。
・しかしその「愛国心」は元々「社会から疎外された」というルサンチマンを前提としたものだから、他への攻撃性発散と結びつきやすい。他国民・他民族、国内少数派への攻撃に振り向けやすいものだと言える。
・一方では、「エリート」たちに、自国を見限ってもらっては元も子もない。ここでも「愛国心」の出番となる。
・しかしながらエリートに関して言えば、世界に通用する創造性を持つことと上から定められた愛国心を押し付けることには矛盾がある。
・人は自分のことを道具扱いする相手を愛せない(!)国家が「これ以上一人ひとりの子どもを尊重できない」という決断をしているのに、そうだからこそ安全装置として子どもの側に愛国心を求めるのは、究極的な背理である。「愛国心」問題は、この矛盾ゆえに必然的に強制性を帯びるものとなる。
・そもそも、現在の日本の閉塞状況は、エリート教育で解決するのか?日本の「エリート教育」がどこかいびつなのは、優れた研究者の頭脳流出問題でも明らかだし、戦前の「エリート教育」が輩出した「エリート」たちのおかげで生命、財産、家族を失った人は数え切れない。その原因分析をやったことあるのだろうか。もしそこをすっ飛ばして「エリート教育」を言うなら、そんなエリートは百害あって一利なしと断言できる。
・ここから一人ひとりの個人のレベルで、責任ある合理的判断を引き受けられる主体の育成が求められ、民主主義の基盤をなすハズだった。
今からでも遅くない!
子どもの為に、孫のために、運命に流されるのではなく、
運命をつくる主体になりましょう!
そのためには現行教育基本法が必要です!
今失ったら、再び取り戻すのに、また何十年もかかります。
ともに行動するお気持ちのある方は、どうぞメロディさん のところへ!
抗議行動のための情報をたくさん載せてくださっています。
小さな行動でも構いません。後悔先に立たず、です。
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やらせ
http://aayumi23.exblog.jp/4892058/
2006-11-05T21:51:00+09:00
2006-11-06T13:41:38+09:00
2006-11-05T21:51:31+09:00
教育基本法
あきれた、とか情けない、とかありきたりの形容詞をいくら並べても足りない。
どなたかも書いていらしたが、「薄気味悪い」、これだ。
考えてもみてください。
いやしくも民主主義国家の政府が、低俗テレビ番組のディレクターのようにデキの悪い台本を書き、政府与党が後押しする法律改正案に「賛成」の世論をでっち上げたのである。
ご丁寧に、「自分の言葉で」、とか「棒読みにならないように」、なんて注文までつけて。
やらせFAX全文は、保坂議員のブログで読めます。
保坂議員も報告してくださっているように、やらせの事実は国会で内閣府自らが認めたことだ。疑いとか臭いとかそんな話ではないのだ。
この国の政府は、ここまで劣化した。
もしも子どもに「規範意識」の欠如があるとしたら、元凶は他でもない、政府与党自身である。それをこれ以上ないぐらい、分かりやすく証明してくれたことに感謝すべきなのかもしれない。
さて、そこで行動です。
これ以上任せておいていいのかしら、と心配になった方、小さな行動を共にしませんか?行動の方法をたくさん調べてくださってるところがありますので、どうぞそちらへ!
(メロディさん、本当に感謝です、ありがとうございます。)
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と、と、となりぐみ
http://aayumi23.exblog.jp/4865565/
2006-11-02T18:27:00+09:00
2006-11-02T21:56:40+09:00
2006-11-02T18:27:38+09:00
教育基本法
要するに、教育基本法「改正」案の中で、政府与党はあの戦前の「隣組」の復活まで想定しているってことだ。
「隣組っ、隣組だってよっ、ええ?!」なんて興奮して叫んでも、今頃のお母さんたちは何のことかサッパリで、かえってこちらの頭がおかしいと思われることが多いのだが、
つまり隣組とは、
戦前の「町内会」のような組織で、戦時訓練への動員や物資の配給などを仕切っていた。
それだけではなく、この組織を通じて日本全国ツツウラウラの一人残らず、住民同士の相互監視下に置くための組織だったのである。
要するにあそこんちは何となくアカっぽいぞ、とか天子様の悪口言ってた、とか訓練のときイヤイヤやってた、なんてことを相互に監視してはお上に密告していたらしい。
あれ、これってもしかして共謀罪とも連動してない?
最近の警察の生活安全課の地域への口出しと、人々の迎合ぶりにはいや~なものを感じていた矢先だ。
例えば近くの横断歩道で子どもの登校時間に合わせて、警察の指示で町内会とPTAから人が出てハタフリをやってるのだが、おまわりさんが「ちゃんとハタフリやってるか」見回りに来るらしい。
月のうち数日やるハタフリにどれだけ事故防止の効果があるのかよくわからないし、私などは大人がハタフリやってると、子どもはかえって傍若無人な道の渡り方するから危ないような気がするけど、まあそれ自体に害はないのかもしれない。ただし、強制されたり監視されたりして「やらされる」のでなければ、ね。
「うちはできない」と言っても聞いてもらえなくて、目を離せないお年寄りから無理やり目を離したり、乳飲み子がいるからとわざわざ実家に留守番に来てもらってまでハタフリ当番に出てる人もいるようだから、何かしら小さからぬ「圧力」があるのは確かだ。
どんな事情を抱えた人でも平等に義務を負うべきだというのは大変な不公平だが、それでもそういう論理がハバをきかせている。大体、ハタフリがいつの間に万人のギムになったんだ?
戦時訓練や配給がないだけで、これってかなり「隣組」に近くね?
・・・というように、ジワジワと統制と相互監視に慣らされていくコワさを感じてたのだが、保坂さんの記事を読んで、またもや平仄が合ってしまった、という感じだ。
これで教育基本法に「愛国心」と「家庭教育」が書き込まれたら、わざわざ「隣組」なんて作る必要もない。
やれハタフリだ、やれ見回りだ、と既に動いている同じ組織が、即座に各家庭の「愛国心」教育への干渉に動員されるだろう。
しかし「隣組」の時代は、逆らえば特高に引っ張られ、どんな目に合わされるか、生きて帰れるかどうかすらわからなかった。今後は知らずとりあえず「今は」そんな心配だけは99.9999%ない。それなのに誰も抵抗できない、というか抵抗しない。いやその前に疑問を抱くことすら自分に許さない。何のための自由なのか?それを学ぶまで失敗を繰り返すってことなんだろうか?
右向け~っ、右っ
で、形だけは全員いっせいに右を向くけど、心の中では「ああいやだ・・」と鬱々として、たまに従わない人を見つければ「お前も右向くんだよ~~!」なんて怒りを向けてしまうような社会が本当にいいと思いますか?
教育基本法を変えようとしている人たちが目の仇にしているはずのどこかの国に、実は似てきていませんか?]]>
現行教育基本法は美しいです。
http://aayumi23.exblog.jp/4822203/
2006-10-28T11:54:00+09:00
2006-10-28T15:00:29+09:00
2006-10-28T11:54:46+09:00
教育基本法
もう慣れたけど、「教育基本法を読んでみない?」と誘うと、大体「あんた共産党?」なんて聞かれて、相手の頭の中でアラームが鳴ってるのがこっちにまで聞こえてきたりする(後半ウソ)。
でも読むのは「共産党の綱領」とかではなくて、「日本国の教育基本法」なんである。最初からそう言ってるじゃあないの。大体私は共産党がどんなとこだかもよく知らないの。いきなりそう聞かれて面食らうのはこっちなのよねえ。
どうやら「法律なんかに関心を持つのは一部の特殊思想の持ち主」だと恐怖を感じるらしい。
それって思い込みよ!す・り・こ・み!あなたも日本の主権者なんだから、日本国の法律に関心を持つのは当たり前だと思わない、ね?・・・などと説得しつつ・・それはさておき。
読んだことありますか、現行の教育基本法。
もしまだなら、ぜひ読んでみてください。こちらです。
(教育の目的)第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
美しいねえ・・「美しい」ってこういうときに使う言葉だよねえ、本来。これのどこを変えなきゃいけないってのか、理解できない。
ところで数人が集まったその「教育基本法を読む」グループで、真っ先に出た感想が、「あたし、こんな教育受けてないよ!」ってことだった。
この感想が出たのが、この部分。
「人格の完成をめざし」
「真理と正義を愛し」
「個人の価値をたっとび」
えっ、どこでそんな教育してたの?あんた、こんな教育受けた?あたし「個人の価値をたっとんで」もらった覚えなんかないけど?真理と正義ィ、何それ??etc・・・
とつかの間、大騒ぎになった。
ちなみにわたしも含めて年齢30~40台の普通の主婦たちである。
どうやら現行教育基本法は、「遵守されている」とは言えないようなのである。
だけど改悪論者たちは、少年凶悪犯罪の増加とやら、いじめ、自殺、創造性のなさ、などなど都合の悪いこと全部を現行教育基本法のせいにしている。
遵守されてもいない法律に罪をなすりつけるなんて、ふてえ野郎どもだと思う。(言葉遣いの悪さはお許しください。)
いじめだって改悪論者の一部が賛美する「教育勅語」を叩き込まれていた子供らが、都会から来た疎開っ子に陰湿ないじめをやってた話を一回も聞いたことない人の方が少ないだろう。なんだ、教育勅語もいじめの原因だったんじゃん(笑)!
「自殺」はデータを知らないのでわからないけど、「創造性のなさ」にいたっては、何をかいわんやだ。1960年の安保条約改定後、経済審議会が出した「経済発展における人的能力開発の課題と対策」ってのがあるのだが、そこには「同世代の子供の中から3%~5%の祉会的指導者となるべきエリートを選り抜くことが必要であり、残りの大部分は産業界の末端を支えるべく“分に応じて生きよ”」と説かれているそうだ。(ここからの孫引き。全文を探したのだが見つからなかった。ご存知の方があればお教えください。)
つまり、子供を輪切りにした偏差値タクアンの中に押し込めて、勝手な基準で選別するのはここから始まったわけ。アインシュタインやエジソンなんかが日本に生まれてきてこんな選別をされてたら、間違いなくアインシュタインにもエジソンにもなってなかったと思う。別に彼らが好きなわけじゃないし、天才礼賛にも賛成じゃないけれど。
最近も、性懲りもなく40年前とそっくりな主張をしていることに皆さん、お気づきですか?
自分たちで創造性の芽を摘んでおいて「創造性がない」と文句を言い、また今「世界を相手の競争に勝つには創造性が必要だ!」とバカの一つ覚えのごとく能力主義と競争原理をさらに徹底させようってのは一体どんな頭から思いつくんだろう。
責任は教育基本法にではなく、まず財界と、財界と結託した政界、官界、次に教育基本法の精神を実現することのできなかった全ての大人にある。
今さらだけど、現行教育基本法をこそ、守りたい、実現せねばと切に思う。]]>
おいでくださり誠にありがとうございます。
http://aayumi23.exblog.jp/4815519/
2006-10-27T14:38:45+09:00
2006-10-28T13:39:28+09:00
2006-10-27T14:38:45+09:00
雑感
ありがとうございます(!!!)
「穴に向かって叫ぶ」のタイトルどおり、勝手なことをコッソリ叫び散らしたい誘惑にもかられたりするのですが、それよりもやっぱり、読んでいただくと嬉しいのでございます。
無学なおばさんですので、マチガイを書いちゃうかもしれません。
ご面倒でなければ、どうぞコメント欄でご指摘くださいませ。
今、「トラックバック」なるものを理解しようとジタバタしているところです。
マスターしたら、お世話になっているブログ様にいっぱい送ろう(まだよくわからん?)と
思っています。ブログの説明って、あれでみんなわかるのかなあ、私にはワカラナイ・・(泣)
こんな感じですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。
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ここはジャングルなの?
http://aayumi23.exblog.jp/4801226/
2006-10-25T18:46:00+09:00
2006-10-28T14:03:54+09:00
2006-10-25T18:46:47+09:00
教育基本法
「導入する」と言えば、今まで全然なかったみたいだけど、「市場原理」といえばつまり「競争原理」じゃないの?競争だったら、今までも散々させられてきたよねえ。きっと、もっともっと「競争原理」一本やりにするってことなんだろう。
イギリスで実施されたけど、義務教育を修了できない子が8%も出たなど問題が明らかになった教育バウチャー制を導入することなんかが具体的施策ってわけだ。(イギリスでは義務教育でも退学制度があるからだが、要するに成績の悪い子が邪魔になるらしい。バウチャー制について詳しくはこちら)
人んちの失敗を見て、同じことをやりたいって言うからには、「失敗」だと認識していないんだろうな。社会的背景が全く違う日本でやろうとすると、もっとヒドイものになるらしいけど。
別に競争や勝ち負けを決めるのが全部悪いってわけじゃない。
スポーツ、ゲーム、楽しいもんね。
問題は、たかが一時のしかもたった一種目の競争、勝ち負けに一生の間の経済や法における「特権」がかかってしまうことだと思う。
子供の頃、遅刻や忘れ物をした時、勉強できる子とできない子とで、先生の叱り方がまるで違うことがよくあった。できる子には甘く、できない子には辛いのだ。子供はとにかく環境を所与のままに受け取るから、私も「何となく変だけどそういうものなんだろう」的受け取り方をしていた。はっきり、あれ、と思ったのはいつのことだったか。よく考えたら遅刻は遅刻、勉強は勉強なのだ。
勉強できる事を理由に遅刻が免責されるのはどう考えてもおかしい。
大人の社会はこれの拡大版だと思うことがしょっちゅうだ。
薬害エイズの問題はフランスでも起こったが、あちらではその結果数十人が刑務所暮らしになったらしい。当然の責任を問われたのね。
ミスっても(あるいははミスではなく確信犯でも)責任を問われる心配がなく利得のみが期待できる立場、というものが社会の中に存在するならば、その立場をめざす競争が激化するのもやむをえない。逆にそんな「無責任特権」など存在しなければ、重責を伴う激職をめざす競争なんかに参加する人はぐっと減るだろう。
とは言え最近は競争の公正さも、競争そのものも実はどうでもいいってことがあからさまになってきた。
元々そんなものは格差が存在することの正当性を調達するためのタテマエでしかなかったわけだが、タテマエにこだわってみせる必要を感じなくなったんだろう。本音の「特権階級の子供は特権階級に、を固定したい」を堂々と打ち出し始めたわけだ。
アメリカがブッシュ以後、むきだしの強者優遇政策に開き直ってしまったことで意を強くしたのかもしれない。
もちろんエリートは必要だと思う。
しかしエリートに特権が付着してるのは、付着させてるからでしかない。
影響の大きな立場にはそれに見合う重い責任をこそ付随させなければならない。
この原則は守られるべきだ。
それが無視されるならば要するにこの社会は、「競争」という正当性の装いのもとに食物連鎖のどこに自分が位置するか振り分けられるジャングルだということだ。
国がジャングルなら「美しい人」とは食物連鎖上位の生物に進んで身を差し出すような下位生物であり、「美しい国」ってのは、そんな秩序が確定した変なジャングルってことなのか?
そう考えてみて、なんか今起こっていることがよくわかったような気がするな。
人類数万年の努力の果てがやっぱりジャングルじゃあ余りにも救われないが。
でも、私も私の周囲の人々もこの社会がジャングルであって欲しい、なんて願っていないし、そうでない生き方をしたいと思っている。ジャングルがいい、なんて人を私は一人も知らないのだ。なのに一体誰があの人たちを選んだの?
いや、わかってんだけど余りにも不条理なもんで、繰り返し「なんで~~っ?!」と叫びたくなってしまうのだ。]]>
共謀罪に反対する
http://aayumi23.exblog.jp/4786337/
2006-10-23T21:27:00+09:00
2006-10-28T13:39:39+09:00
2006-10-23T21:27:11+09:00
共謀罪
共謀罪も、教育基本法も、各地で反対の緊急集会が開かれている。
案内を見るたびに飛んで行きたくなるけど、行けないのだ・・。
できることは、友人知人にビラを配ったり、こんなものが決まったらどうなるか説明したりするだけ。
開設四日のタダの主婦のブログでは、何の影響力もないし。
悔しいねぇ。
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スズメのお宿
http://aayumi23.exblog.jp/4784445/
2006-10-23T17:00:00+09:00
2006-10-28T14:04:16+09:00
2006-10-23T17:00:43+09:00
雑感
それがなんだか知らないが、決まって「特定の1本の木からだけ」なのである。
これを私はスズメたちが今夜一晩のねぐらにする木なのだろうと勝手に想像して、「スズメのお宿の木」と呼んできた。
立ち止まってよく見ると、「お宿の木」には小枝がしなるぐらいすずなりにスズメが止まっている。
ところが隣の木を見ると、スズメの数はぐっと減って、どうみても10分の1もいない。
そのまた隣の木になると、ほとんど1羽もいない。
明らかに特定の一本を選んで集まっているのである。
スズメの群れはなぜ特定の木を選ぶのだろう。
しかも注意していると、毎日同じ木が選ばれている。
・・・かと思うと、ある日突然、一羽も来なくなる。
街路樹は大抵、同じ種類の木がずらりと植わっているから、木の種類で選んでいるわけでもないし、夜遅くまでこうこうと明かりがつき、音楽が流れる騒がしい店舗のまん前の木が選ばれていることもあるから、静謐な環境がお好みというわけでもなさそうだ。
人に話したこともないが、「スズメのお宿の木」を見あげる時、不思議な非日常の空気に包まれる。
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真実を言う人がいなくなったらどうなるか
http://aayumi23.exblog.jp/4777817/
2006-10-22T20:11:00+09:00
2006-10-28T13:41:22+09:00
2006-10-22T20:11:01+09:00
ニュースの感想
例えばイーホームズの藤田社長のこと。
きっこの日記で知ったんだけど、江川紹子さんのHPにも記事を発見した。
お2人のご意見に賛成。
何故偽装を告発した人が一番重い処分を受けなければならないのか?
これは明らかに、問題を指摘し権力にたてついた人間はどうなるかという「みせしめ」ではないか!
彼が偽装に気づいても口をぬぐっていれば、彼の「見せ金」は多分バレなかっただろう。彼が犯罪に問われることはなかっただろう。今でもイーホームズの社長として平穏無事な日々を過ごしていただろう。その代わり、いまだに殺人マンション、殺人ホテルにそうとも知らず大勢の人が暮らし泊まっていたかもしれない。
その方がよかったと考えるのでない限り、彼に連帯する責任から免れる人は居ないと思う。
藤田さん、勇気に感謝します。
こんなところから届くかどうかわかりませんが、どうかお体ご自愛ください。
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