近代史に興味を持ったことから、戦前と戦後の連続性に気づきました。歴史は繰り返す。教育基本法は不当に奪われましたが、決してあきらめません!


by Aayumi23
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教育基本法危うし!

忙しいなんて言ってられない!
メロディさんのところでいよいよ教育基本法が危ないことを知りました。

教育基本法とは何か、教育基本法が改悪されたらどうなるかを、岩波ブックレット「教育基本法「改正」―私たちは何を選択するのか―」から抜粋でご紹介します。



もちろん、全部読むことをお薦めします。リンク先から3日ほどで取り寄せできますし薄い冊子ですからすぐに読めます。

<引用開始>
3P 教育基本法が守っているもの
 教育基本法にできるのは、「あってはならない教育」を防ぐことだけです。教育を形造っていくうえで絶対に踏み込んではならない、「あってはならない教育」を見極め、そこに通じる道に柵を立てること、これが、1947年に制定されて以来、教育基本法が引き受けてきた役割です。この法律があったから、日本社会は、教育基本法が「あってはならない教育」だと定めたものによって脅かされずにすんできました。

10P 「あってはならない教育」とは
教育勅語体制の中で、教育は、子どもを社会にとって便利な道具に改造していくためのプロセスでした。それに対して、個人の基本的人権を保障し、国民主権の原理を採用した日本国憲法は、一人一人の子どもを、単なる支配の客体ではなく、主権者に育っていくかけがえのない個人であると認めていきます。
(途中省略)
また、憲法19条が基本的人権として思想・良心の自由を認めています。それを前提にした教育ですから、学校で一つの考え方だけを注入し、子どもの人格的な発達を国家によって都合のいい方向へとねじ曲げることは許されません。こうしたことを考えたとき、子どもを便利な国家権力の道具へと作り変えようとする方向性は、明らかに「あってはならない教育」として排除されなければならないものでした。

15P~16P 教育勅語復活論 この政党(引用注:自民党)の中には、天皇を中心とする権威的秩序に愛着を覚え、日本国憲法そのものや、基本的人権を社会の基本原理とすることに対して、強い抵抗感をもっている人々がいます。教育基本法が、教育という営みに基本的人権の尊重をあてはめているものですから、この人々は、教育基本法に根本的な違和感をもっています。
(途中略)天皇制の下で、国民が臣下としての義務を自覚していた教育勅語体制こそが、彼(引用注:森喜朗)のような意識をもつ人々にとって、最も理想的な教育体系だということになるのでしょう。こうした考え方は、自民党タカ派の多くの人々と共通しています。

とりあえず引用終了。
この後、「エリート教育のための能力主義」を徹底するために現行教育基本法が邪魔だという主張、「増え続ける少年犯罪」に対処するために、道徳教育の復活が必要だとする立場についての説明と、わかりやすい反論が続きます。

(実はかなり書いたあと、いきなりIEが強制終了してしまい、打ち込んでた部分がパーになりました。打ち直す時間がないので、結論に飛びます。)

再び引用開始

43P 社会の分断と浮上する「すべての日本人に共通する意識」
 学校において、自分の能力が十分な支援を受けていると感じられる一部の小さいグループと、社会の側の期待も感じられず、能力に対するおざなりな支援しか受けられない大多数のグループの間に、分断のラインが引かれようとしていることは、ココまで述べてきたとおりです。前のグループは、馬車馬のように前に向けて走らせればいいでしょう。しかし、二つ目のグループは、そのままでは、社会に対する敵対的な感覚をふくらませかねません。そこで、そうしたグループに生じる不満感を吸収し、反社会的な意識を育てないようにする役割を期待されるのが、愛国心を中心に置いた心の教育ということになります。
 また同時に、最大の支援を受けるエリート層にしても、大切に育てた才能が国に還元されず、外国企業のために使われてしまっては本来の狙いが達成できないことになります。元手を回収するためには、愛国心をしっかりと身に着けてもらわないと困ります。このようにして、教育が一人ひとりを大切にする方向性から離れれば離れるほど、人々の意識をまとめるものとして、愛国心教育の必要性が高まります。
 (途中省略)
 教育の分断によって国民意識がバラバラになりそうな段階で、分断の動きをいっそう進めるためには、他方で国民すべてに共通する意識が必要だと考える人たちが現れているのです。その状況に対応するために、日本の伝統・文化を尊重し、国を愛する心を育てようとする教育が、国民を束ねるために役に立つものとして行われるならば、教育は、ますます子どもの心を操作し、権力にとって望ましい方向に誘導していくための技術としての色合いを強めていくでしょう。

57P 思想・良心の自由をめぐるせめぎ合い
 しかし、もし、教育基本法が改正され、教育目標を定める一条の中に「愛国心の涵養」という項目が入ってくれば、状況はひっくり返るのです。こうした改正を経れば、たとえ「人格の完成」という目的が残っていても、その人格概念の中に愛国心が入り込むわけですから、今の解釈で理解されている「人格の完成」とはまったく違ったものが教育の目的になります。
 教育基本法において、愛国心を構成要素とする人格を育てることが目的だとされれば、ここでいう愛国心は、憲法19条でいう思想・良心の自由にとっても例外境域と認めざるを得なくなるでしょう。そして、思想・良心の自由が保障されない例外をもった基本的人権の体系は、たとえ憲法が現行のままであっても、本来の意味での基本的人権とは、似て非なるものに変わってしまうのです。
 
60P 愛国心通知表の示す問題
 福岡市で、学年をとおした評価としてこの項目を使うかどうかが問われた2003年2~3月は、イラクを攻撃するというアメリカに対して、フランス・ドイツが中心になって国連を舞台に反対の論陣を張り、世界中の議論が二つに割れていた時期です。その中で小泉純一郎首相は最終的に、「米英軍によるイラク戦争を支持する」という見解を表明しました。彼は「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」を持って、イラク戦争支持を打ち出したのでしょう。首相がそうした見解を示した以上、イラク戦争を支持することこそ「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」を持った行為である、と定められるおそれが現実味を帯びてくることになります。
 これは、極端なたとえ話ではありません。今の学校の現実のあり方からすれば、愛国心のあり方は、子どもたち一人ひとりが決められる問題ではないのです。日本という国を愛するがゆえにこそ「日の丸」を拒否し、「君が代」を決して歌わないとする立場は、「愛国心」とは認められていません。そして、評価を行う以上、基準は一元化する必要があります。したがって、「平和を願う世界の中の日本人としての自覚」が身についているかどうかを通知表で評価しようとし始めた瞬間に、子どもたちに対して、平和実現に関する一つの考え方だけが押しつけられる危険は、抜き差しならないものとなります。

(引用終わり)

私なりのまとめ

・もし教育基本法が変えられたら、教育に関して条件のよくない家庭の子どもは、義務教育に際してすら、今までのようには支援を受けられなくなる。
・その結果、国民はエリートと非エリートに早期に分断される。非エリートは就業機会も狭められ、社会に疎外感を抱く大量の若者が出現するだろう。
・その若者たちを、上から定められた「愛国心」に吸収することでコントロールしようとしている。
・しかしその「愛国心」は元々「社会から疎外された」というルサンチマンを前提としたものだから、他への攻撃性発散と結びつきやすい。他国民・他民族、国内少数派への攻撃に振り向けやすいものだと言える。
・一方では、「エリート」たちに、自国を見限ってもらっては元も子もない。ここでも「愛国心」の出番となる。
・しかしながらエリートに関して言えば、世界に通用する創造性を持つことと上から定められた愛国心を押し付けることには矛盾がある。
・人は自分のことを道具扱いする相手を愛せない(!)国家が「これ以上一人ひとりの子どもを尊重できない」という決断をしているのに、そうだからこそ安全装置として子どもの側に愛国心を求めるのは、究極的な背理である。「愛国心」問題は、この矛盾ゆえに必然的に強制性を帯びるものとなる。
・そもそも、現在の日本の閉塞状況は、エリート教育で解決するのか?日本の「エリート教育」がどこかいびつなのは、優れた研究者の頭脳流出問題でも明らかだし、戦前の「エリート教育」が輩出した「エリート」たちのおかげで生命、財産、家族を失った人は数え切れない。その原因分析をやったことあるのだろうか。もしそこをすっ飛ばして「エリート教育」を言うなら、そんなエリートは百害あって一利なしと断言できる。

・ここから一人ひとりの個人のレベルで、責任ある合理的判断を引き受けられる主体の育成が求められ、民主主義の基盤をなすハズだった。

今からでも遅くない!
子どもの為に、孫のために、運命に流されるのではなく、
運命をつくる主体になりましょう!
そのためには現行教育基本法が必要です!
今失ったら、再び取り戻すのに、また何十年もかかります。


ともに行動するお気持ちのある方は、どうぞメロディさん のところへ!
抗議行動のための情報をたくさん載せてくださっています。
小さな行動でも構いません。後悔先に立たず、です。
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by Aayumi23 | 2006-11-10 18:16 | 教育基本法