近代史に興味を持ったことから、戦前と戦後の連続性に気づきました。歴史は繰り返す。教育基本法は不当に奪われましたが、決してあきらめません!


by Aayumi23
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ここはジャングルなの?

教育に市場原理を導入するのだそうだ。
「導入する」と言えば、今まで全然なかったみたいだけど、「市場原理」といえばつまり「競争原理」じゃないの?競争だったら、今までも散々させられてきたよねえ。きっと、もっともっと「競争原理」一本やりにするってことなんだろう。




イギリスで実施されたけど、義務教育を修了できない子が8%も出たなど問題が明らかになった教育バウチャー制を導入することなんかが具体的施策ってわけだ。(イギリスでは義務教育でも退学制度があるからだが、要するに成績の悪い子が邪魔になるらしい。バウチャー制について詳しくはこちら
人んちの失敗を見て、同じことをやりたいって言うからには、「失敗」だと認識していないんだろうな。社会的背景が全く違う日本でやろうとすると、もっとヒドイものになるらしいけど。

別に競争や勝ち負けを決めるのが全部悪いってわけじゃない。
スポーツ、ゲーム、楽しいもんね。
問題は、たかが一時のしかもたった一種目の競争、勝ち負けに一生の間の経済や法における「特権」がかかってしまうことだと思う。

子供の頃、遅刻や忘れ物をした時、勉強できる子とできない子とで、先生の叱り方がまるで違うことがよくあった。できる子には甘く、できない子には辛いのだ。子供はとにかく環境を所与のままに受け取るから、私も「何となく変だけどそういうものなんだろう」的受け取り方をしていた。はっきり、あれ、と思ったのはいつのことだったか。よく考えたら遅刻は遅刻、勉強は勉強なのだ。
勉強できる事を理由に遅刻が免責されるのはどう考えてもおかしい。
大人の社会はこれの拡大版だと思うことがしょっちゅうだ。

薬害エイズの問題はフランスでも起こったが、あちらではその結果数十人が刑務所暮らしになったらしい。当然の責任を問われたのね。
ミスっても(あるいははミスではなく確信犯でも)責任を問われる心配がなく利得のみが期待できる立場、というものが社会の中に存在するならば、その立場をめざす競争が激化するのもやむをえない。逆にそんな「無責任特権」など存在しなければ、重責を伴う激職をめざす競争なんかに参加する人はぐっと減るだろう。

とは言え最近は競争の公正さも、競争そのものも実はどうでもいいってことがあからさまになってきた。
元々そんなものは格差が存在することの正当性を調達するためのタテマエでしかなかったわけだが、タテマエにこだわってみせる必要を感じなくなったんだろう。本音の「特権階級の子供は特権階級に、を固定したい」を堂々と打ち出し始めたわけだ。
アメリカがブッシュ以後、むきだしの強者優遇政策に開き直ってしまったことで意を強くしたのかもしれない。


もちろんエリートは必要だと思う。
しかしエリートに特権が付着してるのは、付着させてるからでしかない。
影響の大きな立場にはそれに見合う重い責任をこそ付随させなければならない。
この原則は守られるべきだ。

それが無視されるならば要するにこの社会は、「競争」という正当性の装いのもとに食物連鎖のどこに自分が位置するか振り分けられるジャングルだということだ。
国がジャングルなら「美しい人」とは食物連鎖上位の生物に進んで身を差し出すような下位生物であり、「美しい国」ってのは、そんな秩序が確定した変なジャングルってことなのか?

そう考えてみて、なんか今起こっていることがよくわかったような気がするな。
人類数万年の努力の果てがやっぱりジャングルじゃあ余りにも救われないが。

でも、私も私の周囲の人々もこの社会がジャングルであって欲しい、なんて願っていないし、そうでない生き方をしたいと思っている。ジャングルがいい、なんて人を私は一人も知らないのだ。なのに一体誰があの人たちを選んだの?

いや、わかってんだけど余りにも不条理なもんで、繰り返し「なんで~~っ?!」と叫びたくなってしまうのだ。
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by Aayumi23 | 2006-10-25 18:46 | 教育基本法